2020年3月末に、上皇陛下がお引越しされる高輪皇族邸(仙洞仮御所)の間取りや内部写真をまとめました。
また、上皇陛下と美智子様がお過ごしになられる高輪周辺はどのような街並みなのか気になりますね。
地元民の高輪ママがご紹介します。
高輪皇族邸の間取りや内部写真
間取りと内部写真
①正面玄関(車寄せ)
出典:朝日新聞
②大広間と食堂
出典:朝日新聞
③大広間と他の部屋
出典:朝日新聞
※この写真を見ると、②大広間と食堂が右手に見えるので、左に長く伸びる建物にプライベート空間があると想像できますね
④全体像(上空)
出典:朝日新聞
上記4つの写真をよく見比べると、想像ですが、①正門玄関 ②大広間と食堂 ③プライベート空間の位置が想像可能です。
⑤想像上の間取り
出典:朝日新聞
上空写真に、想像上の間取りを書き込みました。①正門玄関(車寄せ)②大広間と食堂 ③プライベート空間
恐らくそう大きくは外れていないと思います^^
高輪皇族邸にはプールがある?
以前、港区報に「かつて、高松宮様が近所の子供たちを旧高松宮邸(現 高輪皇族邸)のプールに招待して下さった」と記載がありましたので、高輪皇族邸のどこかに室内プールがあるのかもしれませんね。
高輪皇族邸の改修費用と歴史
改修費用
お金の話はちょっと下世話ですが、やはり気になるところです。
当初予定されていた改修費は8億4千万円でしたが、両陛下が「国庫に負担のないように、最小限のリフォームに抑えるように」とのご意向を示されたため、結果的には5億円台まで圧縮することができたと毎日新聞で報じられました。
その際、両陛下の室内運動場と研究室を兼ねたプレハブは建設も中止されたようですね。
歴史
1.5年間の仮住まいに5億円かけることには賛否両論あるようですが、実はこちらは1973年に建築された鉄筋コンクリートの建物です。つまり上皇陛下と美智子様がお引越しされる時点で47年物の建物ということになります💦
故高松宮様の奥様喜久子様が逝去された2004年に以来無人だったため、かなり老朽化も進んおり改修費用はどうしても嵩んでしまうのでしょうね。
庶民的感覚でいうと、むしろ建物を壊して新築したほうがいいのではないかと思うのですが故高松宮様のお住まいだったことを考慮すると、国宝級の調度品や内装なので取り壊せないのかもしれませんね。
高輪皇族邸にお引越しされる時点で上皇陛下は86歳。ご高齢の両陛下が静かに穏やかな過ごせるように改修してほしいものです。
高輪皇族邸の見学方法
地元の高輪に長年住んでおりますが、残念ながら高輪皇族邸が公開されているのを見たことがありません。高松宮様が1987年に逝去され、また妻・喜久子様が2004年12月に逝去された後は宮内庁の管理下に置かれていました。
一般的には無人だったと言われていますが、敷地内の民家に管理人が住んでいるのでは?と噂されていましたが真相は分かりません💦
そのため、ご高齢の両陛下がお住まいになれる間も、お二人の静かな生活を鑑み公開される見込みは低いかもしれませんね。
高輪皇族邸の歴史と周辺情報
歴史
高輪は寺町として栄えた歴史があります。そのため、高輪皇族邸の周辺には多くのお寺があります。
また、江戸時代、高輪には多くの大名屋敷がおかれていました。中でも、高輪皇族邸のある一帯は熊本藩細川家の下屋敷でした。
また皇太子時代の昭和天皇が住まわれた東宮御所がおかれていた時代もあります。当時は高輪御殿と呼ばれていました。
その後は1931年~2004年まで昭和天皇実弟の高松宮さまがお住まいになられていました。戦後一部の土地が払い下げられ、都営住宅、区立高松中学やクラッシイハウス高輪(高級マンション)にかわりました。
地元では今でも「高輪皇族邸」ではなく「旧高松宮邸」と呼ばれています。
周辺地図
間取りで利用したイメージを、高輪皇族邸のどの位置にくるのか周辺地図にはめ込みました。
敷地の正門玄関の奥の方に建物があるのが分かりますね。外壁が高いので平屋の高輪皇族邸を外から覗き見ることはできませんが、周囲にはマンションが建ち並ぶので・・ちょっと心配です💦
周辺情報1.高輪皇族邸の周りの様子
高輪皇族邸をぐるりと一周して外壁や周りの様子をご紹介します。
上記イメージの赤い矢印の番号順にご紹介します。矢印の方向は写真の向きになります。
①正面玄関
②横道の様子
③高輪皇族邸の外壁
④角(警備員付)
⑤高輪皇族邸の裏通り
⑥高輪皇族邸の桜
⑦高輪皇族邸の裏通り(反対側から)
⑧高輪皇族邸の横の通り
⑨高輪皇族邸の横の通り(別の角度から)
⑩高輪皇族邸の前通り(写真は民間に払い下げられたマンション)
周辺情報2.観光スポット
次に、高輪皇族邸の徒歩5分圏内の周辺にある観光スポットをお届けします。上記イメージだと青い丸印がある箇所です。
①松島屋(和菓子屋)
ここは知る人ぞ知る和菓子屋です。皇太子時代の昭和天皇や高松宮様がご贔屓にされたことで有名ですね。人気店なので、午前中に売り切れることも多いです。豆大福が有名です。
②大石良雄外十六人忠烈の跡地
江戸時代には熊本藩細川家の下屋敷跡があった地です。(第79代内閣総理大臣の細川護熙氏がお殿様と呼ばれるのは、この細川家の18代当主だからですね。今は陶芸家としてご活躍されています)
「忠臣蔵」で有名な赤穂浪士のうち細川家に預けられた大石内蔵助良雄・吉田忠左衛門兼亮・小野寺十内秀和・原惣右衛門元辰ら17名がこの地で切腹しました。
切腹の申し渡しを受け、大石内蔵助が一同を代表して「切腹仰せ付けられ候段有難き仕合せに存じ奏り候」と礼を述べたと伝えられています。
③旧細川邸のシイ
旧細川邸とは、熊本藩細川家の下屋敷のことです。その地にあった樹高10.8メートル、幹周り8.13メートル、枝針は東に6.7メートル、西に2.7メートル、南に5.6メートル、北に5.8メートルの巨樹のシイが文化財として残されています。
幹の下部に大きな空洞があったため、1981年に大規模な外科手術が施されました。
旧細川邸のシイの裏手には高松中学校、横は白金高輪駅直結の港区高輪支所があります。
まとめ:高輪皇族邸の間取り、内部写真や周辺情報
上皇陛下と美智子様がお引越しされる高輪皇族邸の間取り、内部写真、歴史や周辺情報をまとめました。
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